森のせせらぎ2.5ブログ

日常に起きるできごとを徒然に・・・

ショパンとナポレオン (つづき)

 

で、

やっと ショパン様登場となるわけで

1830年 ワルシャワで圧政に苦しむ民衆の武装蜂起が起きると ショパン様には居心地の悪いウィーンをはなれ パリへ向かうことに・・  有名な 「革命のエチュード」はこのころの作曲

 

ショパン様は、

もともと 父親がフランス人で ポーランド人の母親とのハーフである ポーランド出身の青年ですから、オーストリアには支配される関係にあったわけですね なるほど

 

 

余談ですが、

ポーランドは 大の親日

日本が唯一 あのロシアに勝った国だから だと言われてます  だいたいロシアの支配下にあった東欧の国々は 日本びいき らしい⁉

ワルシャワ大学の日本語学科の校舎は

かつて ショパン様一家が暮らしていた建物(カジミエシュ宮殿が高等学校として使われ、そこで父親がフランス語を教えていた)のようです❕

 

日本人も ショパン様のピアノ曲が大好きですし 

ただならぬ 縁えにし を感じます。。。

 

 

ショパン様が もう40年早く生まれていたら???

反ナポレオン派ベートーベン様 VS ナポレオン派ショパン

という構図 だった かも 

バチバチ ですよ これ

 

大胆.分析でございました