森のせせらぎ2.5ブログ

日常に起きるできごとを徒然に・・・

ショパンの革命

ポーランドの悲しい歴史

1795年以後  ロシア・プロシャ・オーストリアに分割され 100年以上にわたって 地図上から 抹消されることに。。(ポーランド独立は第一次世界大戦後ようやく実現)

 

さて、

ショパン様が ウィーンにいた頃

祖国ポーランドでは ロシアの弾圧に耐えかねた民衆の蜂起が!!

(1830年11月)

     

ショパン様の親しい知り合いの者も参加していたらしく 祖国に残る父ニコライ、母親や姉、妹たちのことも心配でした

 

一緒にウィーンにいた親友は ポーランドに急いで帰国しますが、ショパン様は 体が弱いため帰国を止められてしまい・・

あの 華奢なショパン様の言葉とは思えない(170センチで50キロそこそこ)

 

「 自分は どうして一人のロシア人も殺せないのだろう 」と嘆いたと・・

   

 

このワルシャワ蜂起は ロシア軍により鎮圧され

ショパン様の愛用のピアノも打ち捨てられ・・ ポーランド人は徹底的に粛清されます(シベリア抑留・ロシア軍に徴兵・仏へ亡命)

 

 あのビチャの虐殺と重なって なんとも いやな気持になります・・

  

    たいへんでっせ じつづき やから 

 

このころ 作曲されたのが

エチュード12番 いわゆる「革命のエチュード」と言われています。。

 

冒頭から ショパン様の燃えたぎる怒りと絶望 熱い祖国への思いが 曲に乗り移ってます

 

 

ショパン様の 祖国愛は

ポロネーズ3番(軍隊ポロネーズ

ポロネーズ6番(英雄ポロネーズ

ポロネーズ7番(幻想ポロネーズ)など

ポーランド風の 楽曲に 表れています

 

ショパン様は 1849年 パリで39歳という若さで亡くなってしまわれたので 一度も祖国ポーランドに帰国することがありませんでした・・

 

 

結核の特効薬 ストレプトマイシンが発明されたのが1944年なので

ショパン様の死から 約100年後か・・

 

もっと早く 薬が開発されてたら

もし 長生きできる時代に生まれていたら

もっと もっと たくさんの名曲が生まれていたかもしれない

祖国ポーランドへの帰郷も かなえられたかもしれない。。

 

ポーランドの誇り 英雄 ショパン

 

ポーランド人でなくとも 胸の奥が きゅんとさせられる お話です。。。