さて、あらためまして
波乱万丈人生 ラフマニノフ様
彼は ロシアの貴族の生まれでございました⁉・・
父親は広大な領地を引き継いでいましたが 経営に失敗し 破産
一家は ペテルブルグに引っ越しますが、 感染症で妹が亡くなり 父親は失踪!!
ラフマニノフ様も 学業不振 落第の危機に・・
しかし、そこは 元貴族 ”つて”を頼って モスクワの音楽院に編入
そこで、
かの チャイコフスキー様に出会います(作曲の試験官)
ラフマニノフ様は 大変優秀で ピアノ科首席、作曲科も首席 で卒業
その卒業の年 19歳で作曲したのが
あの 「前奏曲 鐘」
さすが!
ただ、その後 ベートーヴェン嫌いのトルストイ様に 叱責されたり 演奏会の失敗があったりで、 精神を病んでしまい・・・
でも、、 なんとか 「ピアノ協奏曲第2番」で 復活します
よ よかった‼
しかし、
日露戦争がはじまり
1905年 血の日曜日事件 軍の発砲により 無抵抗の市民多数死亡
ラフマニノフ様は 抗議の意思を示して 当局から 目をつけられます・・
1917年 ロシア10月革命 勃発
非国民のそしりを覚悟の上 ラフマニノフ様は 祖国ロシアを離れ
やがて スイスの湖畔の別荘で・・
この地で 作曲したのが、
「パガニーニの主題による狂詩曲」
(ストピだと 今年 四国の穴吹学園ホールで 美人秘書さんたちと演奏されてます)
オーケストラバージョンでなくても ピアノソロでも ぜんぜん❤
是非とも 挑戦してほしいです。。
はなし戻して
ところが、
このスイスにも ナチスの魔の手が!
どんだけ にげるん⁉
1939年 第2次世界大戦
とうとう アメリカ カリフォルニアに 安住の地を求めます
はあ 書くだけで 疲れる
ラフマニノフ様は、
2メートル近い身長
12度の音程を押さえることができる
(左手小指でド~親指で1オクターブ半上のソまで) 驚嘆❕❕
独創的 革新的 唯一無二のピアニストとして名をはせた ← ほめてます
あの ホロビッツ様とも お友達ですってね ワオ❣
まとめると
「パガニーニの主題による狂詩曲」が 逃れ のがれた先の ひと時のやすらぎの時間に生まれたというのが わかりました。。。 ふぅ
ぜひぜひ ピアノソロ でも 聴きたい 第18変奏
甘く切なく 美しいロマンチックな一曲です。。。