森のせせらぎ2.5ブログ

日常に起きるできごとを徒然に・・・

ショパンの別れ

ショパン様は ポーランドの出身で 繊細でまさに ザ芸術家

 

父親はフランス人でフランス語を教える教師 母親は没落した貴族の出身

ショパン様の幼少期は 母親や姉からピアノの手ほどきを受け 父親の教育方針で きちんとした学校生活を送ることができ 友人にも恵まれた環境でお育ちでした。。

 

早くから ピアノの才能を認められ ワルシャワ音楽学校卒業後は ウィーンに旅立ちます

やがて パリを音楽活動の拠点として活動しますが、リスト様の紹介で小説家のジョルジュ・サンドと出会います。。

 

そんな

ショパン様の曲には 愛する人との ”別れ” が欠かせません⁉

 

ええーー! わかれ って!

 誰と⁇

      だいたい にほんご おかしくない? わかれが かかせないって

 

 

ショパン様の名曲は 別れ にはじまり 別れ でおわります はい‼

 

 

まず最初は、 ワルシャワ音楽学校を首席で卒業してウィーンに旅立つとき

ショパン様の初恋 声楽科のマドンナとの別れが  

・・・後に「エチュード3番(別れの曲)」が生まれます。。 甘く切ない名曲❤

 

 

そして、2度目の別れは パリでの活動が軌道に乗ってきたころ 

幼馴染のマリアとの再会と 別れ 二人は恋に落ち しばしの別れが

・・・このときに 「ワルツ9番(別れのワルツ)」をマリアに贈ります。。

 

 

つづいては マリアとの婚約が ショパン様が病弱であることを理由に 破棄されてしまったとき

・・・このときは 「エチュード23番(木枯らし)」悲しみと絶望。。

 

 

最後に、まるで母親のように ショパン様の健康を気遣い 物心両面で支え続けたジョルジュ・サンドとの悲劇的な 別れ そして体調の悪化

・・・このあと 「ワルツ7番」が作られています 苦悩と嘆き。。

 

 

身体が弱く 結核をわずらっていたため(39歳没) コンサートのような体力を使う活動は ほんの少ししか できなかった天才ショパン様 少人数のサロンでの演奏が主な活動でしたが、

それでも ショパン様の評判はヨーロッパ中に。。。

 

 

次回は また ちがうテーマで ショパン様に迫ります。。